基本理念
過不足ない自然な医療
「念のため検査をしておきましょう」
「念のためこの薬を飲んで
おいてください」
医療の現場ではよく聞く言葉です。大事に至ると大変なので、予め策を講じておこうとの判断です。
「念のため」との考え方は必要です。しかしそれが過度になってしまうとかえって害を及ぼす事があります。
例えば抗生剤の投与です。かぜで医療機関にかかられた時、抗生剤を処方された事はありませんか?かぜは本来ウイルスが原因の病気なので、細菌にしか作用しない抗生剤は全く無効です。
しかしかぜだと思っていて他の病気だと具合が悪いので、「念のため」抗生剤が処方されます。
ところが、このように抗生剤を頻用、乱用していると、いざという時に抗生剤が効かなくなってしまいます。
あるいは、アレルギー予防を目的とした食事制限の話を聞かれた事があると思います。特に症状のない赤ちゃんに対して、1才まで卵や小麦を与えないようにしてアレルギー疾患を予防しようとの考えです。
一時期このような考え方がメディアでもしきりに取り上げられました。しかし最近になってこのような方法をとってもアレルギー疾患の予防効果は認められない事が明らかになりました。
予防効果が認められないだけでなく、逆にアレルギー疾患を増やしてしまう可能性も指摘されています。
つまり「念のため」に行なった事がマイナスを生み出してしまったわけです。
本当に必要な物を見極め、 それをこどもに行なう医療
私達おとなはこどもの世界に介入したがります。
どうして介入したがるかと言うと、何かしないと自分が不安になるからです。
でもそれって本当にこどものためになっているのでしょうか。
余分な物や余分な事を押し付けられるこどもにとっては、大きな迷惑かもしれません。
本当に必要な物を見極め、それをこどもに行なう医療=「過不足ない医療」が私の目標です。そのためには親御さんのご協力が必要です。
こまめに状態を見ていかなくてはならないので、診察の頻度も多くなるかもしれません。
でもこどもにとって一番いい医療を提供するためにはその事も必要だと考えています。
親御さんと一緒に話し合いながら、こどもの真の幸せのために日々努力していきます。
Director’s Message
院長挨拶
院長
芦田乃介
あしだ だいすけ Ashida Daisuke
昭和35年(西暦1960年)西宮市に生まれる。
幼少期は気管支喘息のため医者通いを繰り返す(ただしその事が理由で医者になったわけではない)
西宮市立広田小学校を卒業後、私立灘中学・高等学校に進学する。
人と直接携わる仕事がしたく、親戚縁者に医者が誰もいなかったにもかかわらず医者を志す。
昭和54年(西暦1979年)自治医科大学入学。
バドミントン部に入部し、クラブ活動に明け暮れる。
在学中に一時期コピーライターを志すも、自らの才能のなさで断念。
・昭和60年(西暦1985年)医師国家試験合格。
兵庫県立尼崎病院で初期研修を受けた後、昭和62年(西暦1987年)より飾磨郡家島町(今の姫路市家島町)の診療所に所長として赴任。離島の診療所で必死になって診療をこなす。
医師一人の診療所なので、小児科のみならず、内科、外科等の患者さんにもすべて自分が対応していた。(その頃の経験が今の診療にも活きている)
・平成元年(西暦1989年)ネフローゼに罹患、約1年間の休職を余儀なくされる。
平成2年(西暦1990年)復職、同時に兵庫県立尼崎病院小児科で勤務。
平成4年(西暦1992年)公立浜坂病院に赴任。
地域に小児科医が自分しかいなかったので、一般診療はもちろんの事、町の乳幼児健診や予防接種を一人でこなす。
平成7年(西暦1995年)笹生病院就職、
その後小児科開設と同時に小児科部長に就任。
平成16年(西暦2004年)あしだこども診療所開設。
Career
現在アメリカ心臓協会BLSインストラクター、PALSインストラクターとして西宮を初めとして東京、横浜、京都などで心肺蘇生法講習を行っている
